二〇十四年十二月  デンタ日記
 

十二日三十一日 洗車 。
 今日もは比較的あたたかい。
 FJクルーザーを洗車をした。ワックスをかける。タイヤワックスを使えってみる。

十二日三十日 車庫の掃除 。
 今日は、風も無くあたたかい。車庫の掃除をする。

十二日二十九日 軒下 。
 軒下に有孔板を設置する。反対側に換気孔を設置して屋根裏の換気を促進した。湿気がこもるといたむからだ。パソコンを組み立てする。配線をチェックして電気をながすも起動しない。検証する。

十二日二十八日 湿潤療法 。
 湿潤療法(しつじゅんりょうほう)は、擦過傷や熱傷などの皮膚潰瘍に対し、「消毒をしない」「乾かさない」「水道水でよく洗う」を3原則として行う治療法。モイストヒーリング、閉鎖療法、潤い療法(うるおい療法)とも呼ばれる。20世紀末に湿潤療法の概念が医療現場のみならず一般家庭までに普及したことで、創傷治療のパラダイム・シフトが起きたといわれている。
 創傷治癒は、細胞増殖によるので従来の様に乾燥させるより湿潤を保った方がよいのは明かである。しかしながら、創傷が治癒するとそれが乾燥することから、乾燥させれば治癒すると勘違いしていたことや、消毒を妄信していたため誤った治療がなされてきていたと考えられる。消毒薬が容易に傷のタンパク質との反応によって細菌を殺す閾値以下の効力になる一方で、欠損組織を再生しつつある人体の細胞を殺すには充分な効力を保っていること、再生組織は乾燥によって容易に死滅し、傷口の乾燥は再生を著しく遅らせる。こと、軽度の擦過傷においては皮膚のような浅部組織は常在細菌に対する耐性が高く、壊死組織や異物が介在しなければ消毒しなくても感染症に至ることはほとんど無いことなどに注目して考案された。傷口の内部に消毒薬を入れることを避け、再生組織を殺さないように創部を湿潤状態に保ち、なおかつ感染症の誘因となる壊死組織や異物を十分除去(デブリードマン)し、皮膚常在菌による細菌叢を保持し有害な病原菌の侵入を阻害することで創部の再生を促すものである。
 1980年代より湿潤環境を保ち傷を治すという概念はすでに存在していた。しかし全世界的に普及はしておらず、日本国内でもガーゼを伴う治療法が主流であり続けた。2001年ごろから急速に普及が図られている。同じころ、食品用ラップフィルムを用いて傷を包むことが推奨された。完全な閉塞環境を保つことが目的ではないことから、ラップ療法、開放性ウェットドレッシング療法 (Open Wet-dressing Therapy, OpenWT) と呼ばれている。
 ミヤおの傷はドレッシングテープを張って湿潤療法を行っている。


十二日二十七日 大掃除と忘年会 。
 今朝、ミヤおをペットクリニックに連れて行く。傷がだいぶ小さくなった。
 
みんなで診療室の大掃除をする。照明器具の樹脂製の部品が割れてしまった。すでに30年以上使われているので樹脂部品は劣化して割れやすくなっている。タッピングビスで直付けした。今年も無事に大掃除まで終わった。(左写真)
 午後5時30分から「うさみ亭」でみんなで忘年会。後の忘年会が恒例になった。今年もうさみ亭で美味しいステーキをいただく。それぞれにワインを飲んだりビールを飲んだり。生牡蠣、帆立のキノコクリームソース、鮭のレモンソースのオードブルもとても美味しい。もちろん常陸牛のステーキも美味しい。そしてガーリックライスと味噌汁。デザートはアイスクリームと葡萄。
 みんなで楽しいひと時を過ごした。みなさん、今年も一年間ご苦労様でした。(右写真)

 
 

十二日二十六日 グレゴリオ暦 。
 今

十二日二十五日 紀年法 。
 今日はクリスマスです。今夜はクリスマス・パーテーです。まあ、宗教儀式とは、なんの関係も無くただただパーテーです。(左写真)
 そうして今年も過ぎてゆく。 新しいカレンダーがやって来て暦が更新される日が近づく。日本では、西暦と元号を混ぜて使ってる。役所に出す届出等の日付は元号を用いる。だが、元号は時々リセットされるので都合が悪いことがある。日々のデータが蓄積される会計処理では、日付が一元化していたほうが都合が良い。私は、うちの会計処理を西暦や元号で日付されている伝票を西暦で一元化して処理している。

 西暦は、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年(紀元)とした紀年法である。ラテン文字表記はヨーロッパ各国で異なるが、日本語や英語圏では、ラテン語の「AD」が使われる。アンノドミニ (Anno Domini) 」の略であり、「主(イエス・キリスト)の年に」と言う意味。西暦紀元、キリスト紀元ともいう。19世紀ごろからキリスト教国家を中心に、世界で最も広く使われている紀年法である。
 紀年法(きねんぽう)とは、年を数えたり、記録する方法をいうのだが、大きく分けて三種類に分けられる。
①紀元=西暦/キリスト紀元、ヒジュラ暦/ヒジュラ紀元、仏暦/仏滅紀元、皇紀/神武紀元など、ある年を始点にして、経過年と遡及年を数える無限のシステム。
②元号=君主の即位や、事件などによってリセットされる有限のシステム。
③干支(60年周期)やインディクティオン(15年周期)など、一定の年数で繰り返される循環式システム。
  紀元と元号の両方共に、始まりになる年を0年でなく1年として考える。即ち、数え年として数える。紀年法は、元年と1年経過するごとに加算する原則があるのみで、元日は定義しない。これに対し暦法は、月や太陽の運行に従って1か月ごとの日数を定めてから1年の長さと元日を定義する。つまり年月日で暦を表すには紀年法と暦法の両方が必要となる。また、改元により新しい紀年法を採用した日が必ず元日になるとは限らず、あるいは暦の月日が不連続となることがある。
 日本においては、暦法と同様に、紀年法も「○○暦」と呼称されたり、紀年法が暦法の一部と認識されてしまうことも多く、両者が混同されることがある。西暦は、かつて紀年法として「西洋紀元」「西紀」という語で区別されていたが、やがて混同され、どちらも西暦とよばれている。暦法としての西暦はグレゴリオ暦を指すが、紀年法としての西暦はキリスト紀元である。




十二日二十四日 Christmas Eve 。
 かあちゃんが、クリスマスケーキを作った。知人へのプレゼント、それぞれの実家へ、そしてうちのぶん。(左写真)
 ラジオから一日中クリスマス・ソングがながれた。ミュージシャンは、クリスマスソングを1曲ヒットさせると一生安泰だと聞いたことがある。
 クリスマス(英: Christmas)は、イエス・キリストの誕生を祝う祭(降誕を記念する日)で12月25日にだ。クリスマス・イヴは、クリスマスの前夜、つまり24日の夜を指すのだが、イヴ(eve)は evening(夜、晩)」と同義の古語「even」の語末音が消失したものであるようだ。
 ウィッキペデアによると、『教会の暦では一日は日没から始まり日没に終わるためクリスマスは24日の日没から25日の日没までとなる。ユリウス暦を使用する正教会では、1月6日の日没から1月7日の日没までがクリスマスである。カトリックの典礼暦は一般の暦と同様午前0時に日付が変わるが、復活祭やクリスマスなどの祭日の典礼は前日の晩の祈りから始まる。ユダヤ暦およびそれを継承する教会暦では、日没をもって日付の変り目とする。このためこの種の暦を採用する教会では、クリスマス・イヴの日没からクリスマスを起算するため「クリスマス・イヴ」は既にクリスマスに含まれている。』らしい。
 日本ではどうなの?クリスチャンの知人にメールできいてみた。おおむね以下のようだ。
 ユダヤ教は現在でも日没が1日の始まりの意識があるようで、金曜の夜にシャバット(安息日)が始まる。ただ、安息日をまもるのは本当に厳格なユダヤ教徒のみらしい。キリスト教では、礼拝は日曜日の朝にやる。カトリック、プロテスタントは通常の午前0時で日付がかわります。多くのプロテスタントは24日が平日だとひとが集まらないので23日の天皇誕生日にクリスマス礼拝をしたりします。
 私は、阿弥陀寺に墓参に行き、八坂神社に拝礼するが仏教も神道のことも良く知らない。そんな、私だから、降誕祭(クリスマス)のことは。何も知らないと言っていい。でも、やっぱり、儀式の背景には興味がある。



十二日二十三日 天皇誕生日 。
 天皇誕生日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)で祝日と定められている。天皇の誕生日を祝うことを趣旨としている。今上天皇の誕生日を祝う日である。知ってのとおり平成元年(1989年)からは12月23日である。(第2条)
 天皇誕生日に宮中では、祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀が行なわれるようだ。 伊勢神宮ではでは天長祭(てんちょうさい)が行なわれる。天皇陛下の御誕生日をお祝いして、陛下のご長寿及び国民の平安をお祈りするお祭りで、外宮では12月23日(月・祝)7:00、内宮12月23日(月・祝)10:00に行われ祭儀を参道等から拝観することができるようだ。(伊勢神宮ウエッブページ)
 年末は何となくあわただしい。大掃除、年末調整、クリスマスイベント、などなどに心奪われ不謹慎にも今日が何の祝日だか忘れてしまいそうになる。天皇陛下のお誕生日だったのだ。宮中では、古式様式に則り儀式が行われるのだろう。基本的にはバースデー・パーテイーなのかな。

 さて、うちの外壁工事の足場がはずれた。すっきり。これまでよりベージュ系の色合いになった。補強や補修をした箇所が、うんまくまとまっている。職人さんたちに感謝。
 かあちゃんが、クッキーを焼いた。(左写真)
 親戚に不幸があった。お通夜に行く。



十二日二十二日 外壁工事 。
 大方の行程が終了するようだ。明日、足場が撤去されるようで職人さんが窓のマスキングを外し窓ガラスを拭き掃除する作業をしていた。

十二日二十一日 第9回かさま陶芸の里ハーフマラソン 。
 今日は、第9回 かさま陶芸の里ハーフマラソン大会の日だ。ハーフマラソンはフル(42.195キロ)の半分だから約21キロだ。
 6時52分に家を出る。途中給油したので時間をロスをしたが、谷和原インターチェンジから常磐高速、北関東自動車道を経由して大会会場である笠間芸術の森公園に8時20分ごろに着いた。会場近くの臨時駐車場にクルマを入れて9時20分まで仮眠する。すでに、ゼッケンが郵送されているので受付はなし。
 大会会場にいって参加賞の笠間焼きとおいなりさんをもらった。お稲荷さんはさっそく食べちゃった。(左写真上段) 陽がさしてあつくなってきた。長袖のウエアではあつそうだな。スタート時間10分前にスタート集合場所に行く。スマフォで記念写真を撮った。(左写真) 
 笠間陶芸の里ハーフマラソンは、坂が多いコースだ。平坦な所はほとんどない。登りか下りか、傾斜がきついかゆるいか差はあるが、さかみちである。10時40分スタート。はじめは、ゆっくりゆっくり走って体を温める。ウォーミングアップを十分にする。3キロ地点のキツイ登り坂で少し歩く。レース途中のキツイ登り坂では歩くことにしている。走ってもあまり速度が変わらないからだ。 無理はしない。 風が出てきたがあまり強くならずあつくも無く寒くもなくほどよい気象条件だ。第二折り返し点の友部駅前では、すでに膝やかかとや足首が痛くなってる。痛みをこらえて走るのはとても辛い。痛くないと楽しいんだけどね。ランニングシェフに追い越された。シェフは、帽子が揺れない、しっかりとした足取り、安定したフォームで走ってる。すごいや。
 19キロ以後は、ほんとに足が痛くて辛かったな。でもなんとかゴールまで走りきった。ネットタイムは2時間18分14秒だった。昨年より約8分遅い。笠間は、坂道がつらいコースだ。すごく疲れたハーフマラソンだった。
 この大会では、ゴール後に冷たい飲み物ももちろんあるが、いつも暖かいコーンポタージュスープが提供されるのだ。が、みんながお代わりするので私の番が来た頃には底を突いていてお代わり不能だった。レース終了後、かあちゃんとちょっとのんびりする。トイレで顔を洗う。
  毎年かさまマラソンのあとは、欧風料理「チェルキオ」(笠間市笠間2642 tel0296-70-1243)で昼食をとる。魚料理のランチ(スズキのムニエル:右写真)をいただいた。毎年、1回ランチに訪れるだけなのにマダムが昨年のことを覚えていてくれた。驚き!
  その後、  「ギャラリー門」をちぇっく。かあちゃんが、スープ皿を探しているのだが、なかなか適当なものが見つからない。
  眠さをこらえて家に帰り着く。


十二日二十日 外壁工事 。
 外壁は、雨がしみこんで乾きにくい場所の構造が傷んでいる。予想以上に痛みがひどく追加工事の連続だ。北東の角の柱は中心まで腐ってる。(左写真)壁状の構造を作って補強するようだ。通路の屋根は雨漏りで水が回り込んで乾かない。天井材を全部張替え防水工事を完全にやり直す。(右側写真) 
 見積もりを大幅に上回るだろうが、しかたないな。

十二日十九日 外壁工事中 。
 今日は晴天。外壁工事が進展するか。雨が降ると下地が湿っていて作業が進まないようだ。

十二日十八日 風 。
 木曜日で休診です。最低気温は氷点下だったのでしょうか、水溜りが凍っています。北風が冷たい。
 外壁の補修工事中です。朝早くから職人さんが足場上の高い位置で作業中です。強い風の中高所での作業はたいでしょう。くれぐれも安全第一で作業してください。(左側左写真)
 子猫のMiya-Oがだいぶ元気になりました。まだ頭に大きな傷、外傷による直径12mmぐらいの皮膚欠損がある。(左側右写真)
 かあちゃんといっしょに洞峰公園にランニングの練習に行きました。私は、目覚めた時から少し腰が痛かったのですが、走ったらますます痛くなってしまいました。走るのはやめてゆっくり2周(約3キロ)歩きました。北風が強く寒いのでウインドブレーカーにくるまって歩きました。かあちゃんは、新しいシューズとウエアで7周(約10.5キロ)走ったようです。昼ごはんは、イタリアンレストランのリネアです。渡り蟹のトマトソースパスタが絶品です。(右写真)


十二日十七日 レービンブレードティース 。
 Tさんの新しい義歯ができあがりました。レービンブレードティース(商品名))が使われています。上顎臼歯の人工歯にメタルブレードが付いています。レービンブレードティースはブレードの尖端に咬合力を集めて咀嚼力を高める人工歯ですが、このブレードに対合する部分を金属に置き替える事でその性能をより持続させる事が出来ます。

十二日十六日 クリスマスケーキ 。
 かあちゃんが、クリスマスケーキを作った。
 あすの菓子教室のための試作品らしい。

十二日十五日 岩井保育園歯科検診 。
 私は、岩井保育園の嘱託歯科医をしている。今日は今年度2回目の歯科検診を実施した。
 午前中の診療を休診にして約120名の園児の検診をする。

十二日十四日 エスポートミズノ 。
 日曜日で休診です。いつも休日には10キロぐらい走るのですが、今日はランニング練習休みます。
 かあちゃんといっしょにエスポートミズノにランニングシューズを見に行く。その前に、神田志野だ寿司で昼ごはんを食べる。志野だは稲荷寿司の老舗だ。ほかに太巻き、押し寿司、茶巾、などを扱っている。(左写真)
 エスポートミズは、あのスポーツ用品ミズノのアンテナショップだ。ミズノの全ての製品の情報がある。(はずだよね。左写真:シューズ売り場は2F)) ランニングシューズは、消耗する。これまで使っていたミズノのモデル「マーキュリー」が廃番になった。ランニングシューズにもハヤリスタレがあるようだ。今使用中のランニングシューズが磨り減ってしまったら後継モデルを選択しなければならないので製品情報取得と試着をする。ミズノウエーブ「インスパイア」25.5cmあたりが適当なのかな。(左写真) 試着してみる。店内で7メートルぐらい走る。ランニングシューズは履いただけではわからない。走ってみないとわからんな。7メートルでもやらないよりはまし。
 かあちゃんは、インスパイアを購入した。もちろん、試着して購入したのだが、同じモデルの同じサイズでも微妙に差があり複数試着してぴったりしたものを購入した。



十二日十三日 雪 。
 強い寒気の影響で日本海側では大雪だ。一晩で50センチから80センチも積もるところがあるらしい。衛生写真で見ると日本海から日本列島の西側沿岸にスジ状の雲がいく筋も重なって密集している。こんな時は、太平洋側の関東地方は良く晴れ渡ってよく乾いた西風がふく。(左写真)
 パソコン組み立て中。金属板に直径50mmの穴をあける。専用工具を使うのだが、一個穴を開けるのに7分はかかるな。辺縁にヤスリをかけて仕上げる時間まで含めると一個15分かかる。穴を開けたり、コネクタを自作したり、ケーブルを作ったりして使い勝手の良いパソコンに仕上げる。
 
 大雪の夜に新潟県をクルマで移動したことがあった。

 20時ごろ、ミヤおの包帯交換。昨日よりも元気になったかな?


十二日十二日 大根ステーキと言われているもの 。
 大根をゆでる。そして、サラダ油で両面をコンガリ良く焼く。そこにめんつゆをかけ煮ながら絡める。味が滲みたらチーズを載せてオーブンで焼く。クックパッド上にあったレシピらしいが、かあちゃんは大根ステーキとよんでいる。たしかに、ステーキのような風貌である。
 ミヤおの包帯交換。あまり元気がない。四肢の連係動作がうまく行かない。エサは食うが、嗅覚が低下してるような様子がある。呼びかけにも反応しない時がある聴覚も低下してるのか。


十二日十一日 休診日 。
 今日の天気はよくない。木曜日で休診だ。 生命保険などの見直しをする事にした。ビジネスコンサルタントに相談。
 午前9時ごろから八坂公園周回コースを3周して16キロ走った。途中で雨が降ってきたが量は少ないのでそのまま走り続けた。
 午後は、雨の中をちょこっとドライブ。休みの日に家の中に居続けるとなんか休んだ気になれない。そこで気晴らしにちょっと外に出た。
 つくば市のポンパドールでチョココルネを食う。帰りに次男を守谷駅で回収。
 ミヤおを獣医さんに連れて行く。あまり元気がない。まだ治癒には遠い。うまく治るかも怪しい。

 パソコン組み立て中。電源ユニットの取り付け場所を切りこんだり、USB信号線を自作したりする。(左写真)

ばんごはんは、カルボナーラ。(右写真)




十二日十日 医療安全会議 。
 Tさんの上顎総義歯が出来上がってきた。臼歯部の人工歯には金属製のブレードが付いている。義歯に名前を入れてある。(右側写真)
 毎週水曜日は、老健きねぶちさんに訪問歯科診療をする。二人の患者さんを診た。Sさんの上顎義歯が破損している。即時重合レジンで修理する。下顎は総義歯だ。ずいぶんと磨耗してしまって咬合状態が悪く不安定だ。96歳と高齢なので新らしい義歯を製作するよりも修理したほうが確実に機能回復できるだろう。Yさんは上下とも総義歯でテッシュコンデショナーをして義歯の安定を図っている。下顎の義歯は、これまでよりもかなり大きくなったので不安そうだ。安定して良く噛める総義歯にするには入れ歯を大きくしなければだめなことを良く説明して、テストフードのせんべいを食べてもらった。せんべいが食べられて安心したようだ。しばらくぶりでせんべいを食べたと喜んでいた。しっかり食べられることを確認して診療を終わりにする。

 午後の診療の一部を休診にして医療安全会議をする。(左写真) 今日は2名欠席なのだ。ちょっとさびしい。

十二月九日 ミヤお 。
 ミヤおは、7日日曜日の朝から元気がなくなった。頭か腹か、どこか痛かったのだろう。一日中苦しみもがいていた。苦しそうであり、すごく痛そうであった。その日はへたり込んだまま動けなくなった。そのまま死んでしまうのではないかと思った。しかし、その後だんだんと回復して、エサも食うようになった。
 今日は、だいぶよくなってきてエサを良く食う。ふらふらするが長い距離を歩けるようになった。まだまだ元気とは言えないが、小猫らしい行動が出てきたのでひと安心。


 ばんごはんはカツ丼。


十二月八日 電子レンジの修理 。
 今朝、突然電子レンジが動かなくなた。勢い良くたたくと稼動した。しかし、次にはたたいてもたたいても動かない。朝のあわただしい時間に電子レンジが使えないのは、とっても不便だ。
 接触不良に違いない。昼休みに分解してみる。やっぱり、一つのコネクタに接触不良があった。これまでに何度も火花が飛んだことだろうな。コネクタが半分以上溶け落ちている。(左写真) コネクタの残った部分を磨きあげリード線を半田付けで直に繋いだ。熱収縮チューブを三重に施して修理完了。
 昼ごはんは、とんかつ。(右写真)

 

十二月七日 日曜日 。
 ミヤおが下痢をしている。抗生剤のせいだろう。午前5時排便した痕跡がありトイレの前の冷たい床でうずまっていた。排便後動けなくなったのだろう。以後、自力で動けない。エサも食わず水も飲まない。前脚が突っ張り伸びきっている。後ろ足を縮めて震えている。痛みを耐えるポーズのように見える。 ミヤおは、一日中苦しんでいた。一日中なにも食っていない。

 日曜日だが、塗装工事の職人さんが来ている。寒い中ごくろうさま。(左写真)
 午後3時から八坂公園周回コースを2周して10キロ走った。寒いね。



十二月六日 外壁塗装工事 。
 家の外壁の塗装工事が進んでいる。軒下の外装が朽ち果てていたり深いクラック、完全に割れてしまってるところ等、痛みが激しい部分が多数ある。状況や、予算のこともあるし、最良の方法が見つからないところもある。井口塗装さんと打ち合わせをして進める。
 今日もミヤおを獣医さんに診てもらう。初日と異なる抗生剤が処方された。

十二月五日 ミヤお 。
 家のなかで「ミヤお」を飼う事にして3日目。頭部の外傷が気になるので近くの獣医さんを受診した。犬や猫に襲われて受けた傷らしい。傷は骨にまで達してるようで、傷が治るには多くの日数が必要らしい。包帯を巻いた状態もそれなりにかわいいな。(左写真)
  獣医師さんの話では、子猫のエサは、市販のキャットフードが栄養バランスが優れていて取り扱いが容易でお手軽らしい。さっそくキャットフード子猫用を買って来た。

 Gさんのポーセレン・メタル・フェーシング・クラウン(金属焼付陶材鋳造金属)が出来上がった。(右写真) 写真では上下転倒してるが左側上顎第一小臼歯です。

 蕎麦名人のイイズカさんが、打ち立ての蕎麦を持ってきてくれた。思いがけずおいしい蕎麦にありついた。ばんごはんは、蕎麦だ。
 イイズカさんのこだわり蕎麦は、プロ以上である。いや、蕎麦を生業としないプロじゃないからこそできる業なのかもしれない。イイズカさんのおうちには、蕎麦粉を挽く部屋、蕎麦を打つ部屋がある。

 

十二月四日 A kitten came to my home 。
 十一月三十日に子猫が、FJクルーザーのエンジンルームにいた。走行後の車のエンジンルームは温かい。夜中の寒気をしのぐ為にFJのエンジンルームに入り込んだのだろう。衰弱している様子だった。思わずエサをやってしまった。それから、三日間、車庫でエサをやっていたのだが、...。
 昨日、覚悟を決めてこの子猫を洗って家にむかいいれた。「ミヤお」と名付ける。(左写真) 頭部に外傷があり排膿していた。風呂場で体を洗いエサをやる。エサにセファクロル(抗生剤)をまぜて投与した。

 昨夜、郵便受けにパトロール・カード(右写真)が入っていた。パトカーのおまわりさんが、パトロールをして異常なかったという報告書だ。時刻は午前3時30分ごろとなっている。ものすごく寒い中、みんながねこかしてる間も地域の安全を守る為パトロールをしているおもわりさんがいる。ありがたい。



十二月三日 蔵 。
 何代も続く古い農家の敷地には土蔵がある。丈夫な鉄のヒンジや補強に囲まれた頑丈な木製の引き戸。引き戸には人一人出入りできる扉が付いている。錠前が付く。私が、小さい時に良くおでんちめに遊びにい行った。おでんちめにも土蔵があった。おでんちめのオヤジはこどもたちがいうことを聞かないとしばらくのあいだ土蔵に入れた。
 小さな道路が交わる角に大日如来を祭った小さな祠がある。おだいにちさまが祀られているのだ。この祠を前にする所に私の母の実家がある。母の実家は、おだいにちさまをまえにする家だから、「おだいにちさままえ」というように言われていたらしい。それが屋号になった。さらにおだいにちさままえが、なまって「おでんちめ」となったらしい。私の母の実家は、おでんちめである。
 おでんちめの裏は、長須小学校の校門であった。就学前には良くおでんちめにアソビに行った。母方の祖父、おでんちめのじいちゃんに良くかまってもらったもんだ。おでんちめには年上の従姉妹が二人いる。泊りがけでアソビにいった。小学生になってからもあそんでもらった。母の兄、つまり伯父にもよく面倒をみてもらった。おでんちめのおやじ。
  今日、おでんちめのおやじと分かれた。

十二月二日 臓物 。
 昼に老健きねぶちさんに訪問診療をする。
 中古のパソコンケースを3基、三段重ねる。出来合いのパソコンケースには良く樹脂部品が使われているが、プラスチック樹脂材料は経年劣化する。出来合いのパソコンケースから樹脂材料を排除して金属板で置き換える。骨組みや外側カバーを作る。パソコンケースの外骨格が完成する。
 臓物、つまりパソコンの内蔵の製作にとりかかる。ケース内は、電源ケーブル、信号ケーブルなど多くのケーブルが走る。出来合いのケーブルでは長すぎる。長いとケース内でたるみ場所をとりケース内の空気の対流が阻害され冷却効率が悪くなる。そこでケーブルを自作する。ちょうど良い長さになるように自作する。自作と言っても長さを調節するだけだ。半田ごてを使ってはんだ付けし確実に絶縁しコネクタを接着剤で固定する。スイッチ類も使い勝手の良い位置に設置する。ハードデスクを固定する金具を自作する。



十二月一日 タラッリ 。
 かあちゃんが、タラッリを作った。イタリアのスナック菓子。


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