二〇十三年 十一月  デンタ日記

十一月三十日 防空識別圏。
  防空識別圏(Air Defense Identification Zone、ADIZ)とは、防空上の理由から設定された空域のことで、英称の頭文字から「アディズ」や「エイディズ」と呼ばれる。航空機が平和時に他国の防空識別圏内を飛行する場合には、事前に飛行計画を提出することで偶発的紛争や軍事的緊張が高まるのを防ぐよう配慮されているようだ。この防空識別圏は国際法で確立したものではなく、領空の範囲を定めたものでもないらしい。
 多くの国において領海は12海里に設定されている。他国機が領海上空の領空を侵犯してから領土上空に到達するまで、旅客機でも1分、戦闘機であれば数十秒あれば可能であり、領空侵犯を確認してから対応するのでは手遅れになる危険がある。従って領空の外周の空域に防空識別圏を設定し、届けのない航空機が防空識別圏に進入した時点で空軍力による強制措置を含む対応がなされる。そのためのスクランブルは、当該機が防空識別圏に進入する姿勢を見せた時点で行われることが多い。
 日本国の防空識別圏は1945年にGHQが制定した空域をほぼそのまま使用しており、航空自衛隊の対領空侵犯措置の実施空域に指定している。おおむね、他国との中間線付近に設定された外側線で囲まれる空域から、内側線(おおむね領海線付近を通っているものの、先島諸島、大東諸島、対馬、能登半島の先端、佐渡島の一部、東京都の三宅島以南、道東や道北の一部などの領土は内側線の外に位置する。)によって囲まれる空域を除いた空域として規定されている。なお、航空法第99条に基づいて国土交通省が提供する航空情報の一種である「航空路誌」(AIR)においては、有視界飛行方式により国外から防空識別圏を経て日本国の領域に至る飛行を行う場合、飛行計画を航空管制機関に提出すること、事前に提出された飛行計画と異なる飛行を行う場合は航空交通業務機関および自衛隊レーダーサイトに無線通報することを要請している。これはあくまで要請であって法的義務ではない。


十一月二十九日 2歳児歯科検診。
  今日は、午後1時30ふんから岩井健康センターで2歳児歯科検診をした。検診前に嘱託歯科衛生士が講話を行っている。
 コドモのむし歯予防には関心が高くその知識や技術もあるようで、ほとんどの家庭で大人がコドモの仕上げ歯磨きを実施しているようだ。2歳児では、まだ乳歯列が完成していない。
 診療後、八坂公園周回コースを約5キロ走った。

十一月二十八日 洞峰公園。
  生花を特殊液に沈め水分を抜いた素材をNatural preserved flowers and foliage というようだ。ほかにも言い方があるようだが、日本ではプリザーブドフラワーというのが一般的らしい。1991年にフランスのヴェルモント社が処理保存技術を特許を取得したらしい。フローラルデザイナーたちが多く利用したことにより広まったという。花をアレンジしてなんか作るんだよね。出来たやつは生花のようなのに色も形も変わらない。だから、ドライフラワーとはぜんぜん違う。 かあちゃんは、プリザーブドフラワーをかまいに土浦に出かけた。
 午後、かあちゃんと洞峰公園で待ち合わせた。公園の駐車場にうちのクルマを2台ならべて記念写真を撮る。別々にクルマで出かけることはめったにないことだ。かあちゃんといっしょに洞峰公園の周回コースを走った。いっしょと言っても周回コースをべつべつにラップを重ねる。私は7周して約10キロ走った。(左写真)



十一月二十七日 境警察署業務監察。
 本日、境警察署において県警察本部監察担当官による通常点検と逮捕術訓練が実施された。通常点検とは、警察官に求められる厳正な規律を養うことを目的として、日常の携帯品である手帳、警棒、手錠、警笛及び拳銃の点検のほか姿勢、態度服装等を検査するものらしい。
 りりしい警察官の姿を見るのは頼もしく安心だ。警察署協議会委員には公開されたようだ。一般市民も希望したら見学できるのだろうか。
 今朝は、眠くて起きられません。朝のランニングをさぼる。先日、家族に毎朝走ると「宣言」したのだったが、4ッカメに途切れた。明日は走ります。
 今日は、昼に老健きねぶちさんに訪問歯科診療をする。Fさんの総義歯の人工歯が脱離したので修理した。


十一月二十六日 あさもや。
 八坂公園があさもやにけむる。早朝八坂公園周回コースを一周して約4.5キロ走った。
 現在、体重64.4キロ。関節がこわばる。腹がでてる。皮膚がかさかさ。どうする。

 そういえば、今年を終わると、つまりあと35日で、この日記を書き始めて満10年になる。なんか良くやったね。10年前の文と写真は、オモシロい。デジカメとパソコンが良く進化した。こどもたちが大きくなった。不安の量が減ったが、心配の種が増えた。大きな楽しみはそうそう無かったが、小さな楽しみは山盛りになった。


十一月二十五日 塩漬けオリーブと清水森ナンバ。
 塩漬けオリーブは、ご飯にあう。(左写真)
 清水森ナンバみそ、はゴハンに合う。(左写真)
 昼に老健きねぶちさんに訪問歯科診療をした。(右写真)

 津軽の在来唐辛子は、約400年前に津軽藩初代藩主の津軽為信が京都から持ち帰って広めたらしい。津軽では、唐辛子をナンバと呼ぶが、どうやら南蛮に由来しているらしい。
 弘前市の清水森地区を中心に、ナンバの栽培が盛んになり、最盛期には大産地となっていた。が、昭和40年代から安価な輸入唐辛子が全国に流通するようになると、姿を消す寸前まで生産量が激減した。 しかし、そんな伝統野菜「清水森ナンバ」を守り抜こうと研究会が発足し種子の確保や育苗土壌管理などによる良品生産とブランド化が進められているらしい。そういえば、弘前市内をランニングしていた時にフェンスで囲われた唐辛子畑を見たことがある。
 「清水森ナンバ」は、甘みを含んだまろやかな辛味と風味の良さが特徴で国内の唐辛子のなかでも群をぬいて糖分が多く、ビタミンA・C・Eを豊富に含んでいるようだ。かあちゃんが、弘前の高校生の考案した「清水森ナンバみそ」を買って来た。
 午前6時30分から八坂公園とサッカー場水生公園を回って約6キロ走った。


十一月二十四日 コスモス。
 次男が部活に出かける。早朝に守谷行き路線バスがない。ので、守谷駅までおくって行く。日の出前に目吹橋付近の交差点を通過。この辺は利根川の堤防に囲われたくぼ地になる。冷気が集まってきているのか、すごく寒そうだ。(左側左真)
 朝食後9時22分から、八坂公園周回コースとサッカー場とベルホーレを周回して約10キロ走った。音楽ホール「ベルホーレ」の前にコスモスが咲いている。(左側右写真)
 かあちゃんは、弘前で「お約束の城公園」を散歩あるいはRUNしているようだ。(右側写真)

十一月二十三日 健康まつり
 早朝、かあちゃんが弘前に出かけるので守谷駅まで送る。その後八坂公園周回コースとサッカー場を周回して10キロ走った。八坂公園の銀杏の葉はまだ少し緑色が残っている。
 正午からベルホーレで開催されている「健康祭り」の歯科医師会ブースに詰める。

十一月二十二日 断線。
 シュレッダーの電源コードが何らかの原因でビニールの被覆が破れて銅線が露出していた。さらにコードがねじれて2本んの線が接触していたようだ。シュレッダーを使おうとして電源を入れたとたん、火花が飛び散った。シュレッドした紙くずが少し焦げた。あぶねえ。こんな、事から発火したりするんだな。
 断線は、ハンダズケをして修理した。


十一月二十一日 筑波山。
 今日は、木曜日で休診です。午後2時頃、三妻橋手前1キロ付近で、すごく渋滞していっこうに前に進みません。事故でしょうか。しかたなく迂回して常総市石下橋を渡ってつくば市に行くことにしました。石下橋上から筑波山を見る。(左写真)久しぶりに石下橋を通過した。筑波山が近く見えるね。

十一月二十日 ヒューズ。
 今日の午前中、突如歯科治療ユニットが壊れた。バキュームと水系統が作動しなくなった。エアー系は作動している。どっかの電磁弁が動いていないのだろう。電磁弁の交換かな。がどうしたものか。治療台で水が出ないのは使えない。
 今日は昼に老健きねぶちさんに訪問歯科診療をした。(右写真)
 診療後、メーカーの外回りサービス担当者がやってきた。なんと、ヒューズの接触不良だった。(左写真) ヒューズが切れたら私にもわかる。見ればだれでもわかる。しかし、接触不良で導通したりしなかったりするとみょうな症状挙動不審がでてどこの不良か特定しにくいよね。
 またまた、接触不良ごときで外回りサービスを呼んで出張修理しちゃったよ。コストは5000円か、10000円か?。もっと良く見りゃ良かったな。

 

十一月十九日 アップル・パイ。
 今日は昼に木根淵病院に訪問歯科診療をする。(右側写真)肺気腫で入院中のKさんの総義歯を製作よていです。
 診療終了後、八坂公園周回コースを歩いて一周した。。

 かあちゃんが、アップルパイを焼いた。(左側写真)紅玉6個分のスライスリンゴがのっかっているらしい。この季節は、やっぱりアップルパイでしょう。


十一月十八日 老健きねぶちさんに訪問歯科診療。
 昼に老健きねぶちさんに訪問歯科診療をする。きねぶちさんからの訪問診療依頼はちょぎれることがない。今日も新患がお二人いる。午後の日差しは、ぽかぽかのんびり、風も無く穏やかな日。昼寝したいな。
 診療終了後、八坂公園周回コースを歩いて一周した。。

十一月十七日 初洗車。
 午前6時から、長谷周回コースを一周して5。51キロ走った。将門マラソン以来はじめて走った。ここんとこ疲れが残って調子悪かった。
 今日、かあちゃんがはじめてミニクーパークラブマンを洗車した。全体的に曲線で構成されたフォルム、丸みをおびたフォルムがかわいい。

十一月十六日 霧モヤの朝。
 今朝は、霧で太陽がかすんで見える。
 そういえば、食材偽装。食材の産地や食材の価値が、かすんで見える。それは、その食材が、はるか彼方で生産されるからだろう。何処で誰が生産したものか分からない。海老は、世界中で何百種類いるか知れないが、私はその全ての名前と味を知っているわけではない。世界中の魚も同じでいろいろだ。なじみの深いコメも同じ。レストランで供給されるゴハンを食って銘柄が分かる人がどれだけいるだろうか。私のいつも食ってるコメは、ナナエジイチャンが生産したものだが、銘柄をしらない。が、たしかにうんまいこめだと認識している。外食で食べるゴハンがそれより不味いか同等かは分かるが銘柄は特定できない。身近で生産され調理される食材以外は、消費者がその出所を検証しようがない。食材の産地や食材の価値が、かすんで見える。おそらく、食材偽装はしばらくなくならないだろう。かすみに対価を支払わないように気をつけなければならないな。


十一月十五日 「七五三」。
 今日、アップルタルトを食った。
 11月15日は、「七五三」か。元は関東における地方風俗であったらしい。現在は「七五三」という名まえから、その年齢にやる同じ行事のように捕らえられている。私もそう思っていた。実際には、それぞれの年齢で行う、別々の異なった行事であるが、3種の子ども行事をとりまとめて「七五三」と呼んだ為に本来の3種の神事の内容が薄れ、同じ行事のように思われている。そのため、現在でも地方によって年齢や祝う内容が異なるが、発祥とされる関東では、以下のように考えられているようだ。
 ①数え年3歳(満年齢2歳になる年)を「髪置きの儀」とし、男女とも行う。江戸時代は、3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終了する儀。
 ②数え年5歳(満年齢4歳になる年)を「袴儀」とし、男の子が行う。男子が袴を着用し始める儀。
 ③数え年7歳(満年齢6歳になる年)を「帯解きの儀」とし、女の子が行う。女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀。
 そういえば、私は、近所のばあちゃんたちはみな「オビトキ」と言っていたので、長須では「オビトキ」と言っているのに世間一般では「シチゴサン」と言っているのだと勘違いしていたことがあった。
 この儀は、京都、大阪でも行われるようになり、早期に全国に広まったとされる。江戸時代に始まった神事である為、旧暦の数え年で行うのが正式となる。 ただし、神事とは、感謝をささげ祝うことが大切であるため、現在では、時期にこだわりすぎず満年齢で行う場合も多いらしい。出雲大社に神が集まるとされる、神在月に、七+五+三=15で15日となり11月15日となったと言う説もある。現代でも、日付こだわらず感謝をささげる儀式であるため、11月15日という目安で、そのあたりに自由に行われているらしい。
 なにはともあれこどもの成長は、ほこらしくほほえましくみなをしあわせにする。


十一月十四日 グリルド・チキンとアップル・タルト。
 今日は本来休診日なのだが、今週月曜日をイレギュラーに休診にしたので交換して本日診療をしました。協力していただいた患者さんに感謝いたします。
 かあちゃんがアップルタルトを焼いた。(左写真)ばんごはんは、グリルド・チキン。(右写真)

十一月十三日 FJクルーザーのコクピット。
 昼に老健きねぶちさんに訪問歯科診療をした。(右側写真)その後、医療安全会議をする。
 画像は、FJクルーザーのコクピット。診療が終わると、ふと一瞬、叔母の見舞いに行かなくちゃと思う。でも、もうその必要はないとすぐに気づく。しばらくの間頻繁に夜の道をFJクルーザーに乗って筑波学園病院までかよった。

十一月十二日 日没。
 昼に木根淵病院に訪問歯科診療をした。(右側写真)
 日没は、午後4時30分。ここのところ連日、日没位置に形の良い雲が適当に配置し夕焼けのオレンジ色が映え空のコバルト色とのグラデーションを楽しめる。刻々と色合いがかわり夜が広がっていく。日没のひと時を西ノ空を眺めてのんびり暮らしたいな。

十一月十一日 わかれ。
 私が3歳だった昭和32年、叔母はまだ実家に居た。おそらく、近所の子供たちが誰一人として知らないだろうと思われることをいろいろと経験できたのは、叔母のおかげであり、後の私の生き方の原理となった事が多い。 上野風月堂のゴーフル、松坂屋デパート屋上の遊園地(のようなアトラクションのあったところ)、お子様ランチ、3歳だった私には衝撃的な経験であった。それは、日常の世界の外側に非日常のめくるめく世界が確かに存在すると幼い私の脳に刷り込んだのである。叔母といっしょに杉の木の枝に綿をまぶしてクリスマスツリーを飾った。岩井キリスト教会に叔母と一緒に行った。叔母はクリスチャンではなかったが、私にモノの本質を見るように教えたかったのかも知れない。不二家のパラソルチョコレート、岩井共同病院の医者、かび臭い白玉ぜんざい、叔母と一緒に過ごした詳細な記憶は私の脳内にもうないが、叔母は3歳の私の脳にさまざまな魂を注入した一人であることに間違いない。
 今日、叔母とわかれた。



十一月十日 いわい将門ハーフマラソン
 昼過ぎから大荒れの天気という予報だ。午前6時30分、今は曇り空。マラソン大会の朝ごはんは、いつもおにぎりと卵焼きだ。(上段左側写真) 7時ごろ中央公民館前の受付まで行ってゼッケンなどをもらってくる。今年は、ハーフの参加者が5000人以上で、前日受付も実施された。かあちゃんは昨日受付を済ましている。朝早くから多くのボランテアの人たちがこのマラソン大会に関わっている。駐車場も市内の企業や団体の協力を得て数箇所が配置されている。商工会議所は駐車場「E」だ。みなさんごくろうさまです。家にもどってウエアにゼッケンを付ける。
 9時ごろからうちの外に出てウォーミングアップをはじめた。地元の大会では、うちの庭でウォーミングアップが出来るので超らくちん。 かあちゃんと一緒に9時30分ごろからスタート地点に向かった。トリセン駐車場の前、岩井派出所前がスタート地点だ。が車椅子のレーサーがスタートラインに並んでいる。車椅子部門が10分先行してスタートになる。今年も、有森裕子さんがゲストランナーだ。
 スタートの列に並んでフォアアスリートをセットする。スタート前にかあちゃんと記念写真。(二段目左側写真) 午前10時スタート、スタートからかあちゃんがさっさと行ってしまう。小山の折り返し点付近で対向してくるかあちゃんをデジタルカメラに捕らえようとしたが、ホワイトバランスをあわせようとしていて撮影をしくじった。
 昨年とまったく同じラップを刻んでいる。13キロ地点まではラップ5分40秒台で走ったんだが、その後は、失速して前に足を運ぶのがやっと。ゴールしてみたらネットタイム2時間09分47秒でした。昨年より少し早いが、2時間以内は程遠いな。まあ、制限時間内にゴールしたから良しとしよう。ボランテアのみなさま関係者のみなさま今年も有難うございました。おかげさまで楽しいマラソンでした。また来年もよろしくお願いいたします。
 ホノルルマラソン招待者選考じゃんけんでは、初戦で負けてしまった。今年もホノルルマラソンを逃した。かあちゃんは、坂東市民枠で最終8人に残り壇上に上がったが、やぶれた。また来年、ホノルルマラソンをめざして、頑張ろう。
 
 昼ごはんは、ナポリタン。


十一月九日 液晶テレビシャープLC32GD6
 しばらく前から挙動がおかしかったのだが、先日うちの液晶テレビLC32GD6が映らなくなった。電源ONにしてもLEDのパイロットランプ緑とお知らせランプ赤が点滅して起動しない。なんか、電源まわりの異常のような気がする。
 本日、とりあえず、電解コンデンサーの異常を疑ってカバーを外してみた。ねじが多いよ。(左写真) ホコリもあまり溜まってない。ヒューズも切れていない。電解コンデンサーも膨らんだり液漏れしてるようなものはない。見た目の異常は発見できなかった。そのままカバーを戻して取り付けた。6時間ぐらい放置して後、ためしに再度電源を入れると起動して正常に機能した。が、本体の電源スイッチをOFFにしたらその後はまた再起動できなくなる。いちど起動しなくなるとまた数時間放置しないといけない。なんか、電源まわりのリレーの異常かもしれないな。とりあえず本体スイッチで電源をOFFにしないようにした。本体は待機状態にして電源を落とさないようにした。リモコンの電源でコントロールしている。
 うちはあまりテレビを見ないと思うが、朝のニュースで天気予報やら事件やら生活情報やらを取得できないのはちょっと不便だと思った。

 余命三ヶ月か。と、主治医に言われてからすでに数年が経過ししていたのだが、叔母は、今朝早く旅立った。いつかは分かれなければいけない定めだが、3歳だった私に魂を注入してくれた身近な人の一人である。叔母が旅立つのは、やはりさびしい。


十一月八日 グループホームなかよし
 グループホームなかよしさんに訪問歯科診療に行く。Kさんの義歯を修理する前段階としてテッシュコンデショナーを義歯の粘膜麺に施している。
 夜はお誕生会。(右写真)

十一月七日 ミルクテーヘーゼルナッツのシフォンケーキ
 かあちゃんが、シフォンケーキを焼いた。

十一月六日 キンメダイのポアレ
 かあちゃんが、キンメダイをポアレした。皮がかりかりに焼けている。バターとオリーブオイルを各スプーン一杯混ぜて使うらしい。

十一月五日 『閃輝暗点』と『光視症』
 閃輝暗点の発作は、突然目の前にチラチラした光が見えてしばらく部分的に物が見えなくなる。視野の中にある光は、のこぎりの刃型のような形(左図)で最初小さな点から始まりだんだん広がっていき、Cの形のようになる。まぶたを閉じてもキラキラチラチラしている。15分位したら消えて元通りに見えるようになる。 眼球は何も問題なく、脳の物を見る中枢部分の血管が収縮し、一時的に血の流れが変化するためと考えられている。20才前後の若い人に起こる若年タイプの場合は、家族の中に同じ経験を持つ人がいたり、発作が起こった時に片頭痛を伴なうことが多い。55才前後に起こる中年タイプではそのようなことはない。
 閃輝暗点発作は周期的に起こるのが一般的で、月に1~2度のこともあれば、年に1回のこともある。回数が多い場合は、血管拡張剤を使うこともある。まず誘因となるストレスや不眠、過労を防ぐことが大切である。もし、発作が起こったら心配せず横になって30分ぐらい休むと発作はすぐに治る。
 若年タイプの場合は、年齢と共に回数も減りその内にほとんど起こらなくなるのが普通。中年タイプの場合は、一般的に中性脂肪が非常に多い人にに起こり、まれに脳梗塞、脳動静脈奇形、脳腫瘍などの可能性もある。確実に診断する必要がある時には脳血管造影検査やMRI検査を施行する。
 光視症は、10数分間続く閃輝暗点と異なり、暗い部屋で顔を振った時などに視野の周辺でピカッっとした光が見えたり、光の玉のようなものが瞬間的に流れるように感じられることである。眼球の網膜が硝子体に引っ張られる物理的な刺激によって起こる。本来、硝子体は眼球の中に十分満たされているが、硝子体が変性し萎縮すると後部硝子体剥離が起こり、網膜との間がはがれて水に置きかわる。顔を振った時に硝子体が揺れて一部癒着している部分で網膜を引っ張るためにそれを光として感じてしまう。癒着が取れれば光は感じなくなる。まれに網膜が引っ張られるために網膜裂孔が出来て網膜剥離になることがあるので、光視症に続いて黒い点がたくさん飛んで見えたり、視野の中に部分的に見えない所が現れたりしたら眼科を受診するべきである。
 私は、一月ほど前に、光視症を初めて経験した。夜間に車を運転しているときに数回経験した。はじめは対向車のヘッドライトの光がメガネの枠に反射して光が走ったと思っていた。しかし、メガネを外しても光が見えたので視覚系の異常だと思った。数日して症状は無くなった。その後、症状がない。
 今日は、閃輝暗点の発作が起こった。これまでに、数回経験している。数年前に初めて閃輝暗点の発作が起こった時は、驚いた。なんだこれは、このチラチラキラキラと一生過ごすのかと思った。まぶたを閉じてもキラキラが動いて見えるので視覚伝導路か脳内の異常だと気づいた。その後は、20分ぐらいすると発作がおさまるので気にしなくなった。だが、発作が起こる前後は、なんか薄っすらめまいがしているように感じる。


十一月四日 ビールもどきの夜
 振り替え休日、あさから曇り。午後から雨が降ってきた。
 ビールもどきを24缶もらった。そして、夜ビールもどきを飲むことが多くなった。新聞を半年分契約したらくれたのだが、私はビールもどきをもらってももらわなくても新聞はアレと決めている。アレのしんぶんやさんが半年毎にビールもどきを持って契約更新にやってくる。しんぶんやさんの話では、契約更新時におまけのよしあしで他の新聞に乗り換えるひとがいるらしい。しんぶんやさんが契約更新にこなかったとしても私の新聞はアレだろう。たいした理由はない。

 今の世ならビールもどきの誘惑に負けて新聞の契約先を変えるようなら紙の新聞をとらなくてもよくね。?



十一月三日 FJクルーザー初期点検
 午前9時30分、FJクルーザーの初期点検に茨城トヨタ水海道店に行く。
 点検を待つ間にかあちゃんといっしょに軽く走った。同店から354号バイパスに抜けて水海道大橋を回り豊水橋を渡って帰ってきた。軽いつもりだったが、気温もあがり思ったよりケッコウ距離があったので大汗かいてしまった。約7キロ走った。
 走行距離約1000キロメートル、点検項目に異常はなく初期点検終了。

 ジョイフル本田守谷店に花壇の苗を買いに行く。



十一月一日 かすていら
 かあちゃんが、かすていらを焼いた。

十一月一日 花は、華
 昼にグループホームなかよしさんに訪問歯科診療をした。
 八坂公園に咲く花。背の低い草なのでそれまではすごく目立たない。そこにあるのさえ気にしていない。なのに、この白い花が咲くといちやくトップスターだ。めだつ、目立つ、この季節に咲く花は、少ない。ちっちぇが、花は華。あたりが明るいのは日差しのせいだけではない。だろう?。

二〇十三年 十一月  デンタ日記 


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