二〇十一年 八月  デンタ日記
 
 八月三十一日 点耳薬。
 今朝は6時34分から八坂公園周回コースを3周して約10キロ走った。
 先週から耳垢が詰まって外耳道が炎症を起こしている。左側が特にひどい。耳鳴りもひどくなってる。昨日、耳鼻科の先生に診ていただいた。タリビット点耳薬が処方された。
 右は、良く聞こえるようになった。左はあまり変わらない。

 八月三十日 トイレットペーパーのケース。
  朝夕は涼しいけど、日中の暑さはなんだよ。汗かく。
 昼休みに老健きねぶちさんに訪問歯科診療をする。
 かあちゃんが、トイレットペーパーのケースを作った。出来合いの小さな籠に自作の蓋を付けただけだけどね。
 

 八月二十九日 歯根破折。
 半年前に撮影した右上第一小臼歯のレントゲン画像(右写真黄色丸の歯)では、はっきりした破折は認められないが、このときにすでに歯根に亀裂があったに違いない。画像上の小臼歯の歯根の周囲に陰影が見える。慢性炎症のせいで骨がなくなっているためだ。ブリッジをはずしてみたが、歯根の破折が確認できなかったのでそのまま経過を観ていた。今日は、この歯根の破折を目視的に確認できたので抜歯することになった。
 歯の中心部の歯髄(血管や神経その他の軟組織で満たされている部分)まで虫歯が進行したらこれを取り除いて治療をしなければならない。これを抜髄(ばつずい)という。いわゆる「歯の神経を抜く。」ということだ。苦労して抜髄して治療した歯も数年経過すると歯根破折の危険にさらされる。運が悪ければこの症例のように歯の根っこが割れて抜歯になる。
 虫歯は、極小のときに治すべきなんだ。でも、極小の時は歯医者にしか発見できない。だから定期検診が必要なんだな。だいたい、患者が自覚するような虫歯は、かなりかなりでかい。痛みを伴うような虫歯は、だいたい抜髄の症例だ。

 午前6時から八坂公園周回コースを3周して約10キロ走った。
 少し日が短くなったな。午後6時から八坂公園を約2キロ走った。一日2度走ったのは久しぶりだな。

 八月二十八日 日曜日。
今朝は6時11分から八坂公園周回コースを4周して約13.37キロ走った。
日が短くなった。朝夕は涼しいが、日中の日差しは強い。おまけに風があると芝生が乾いてしまう。日没後に水を撒く。

 八月二十七日 断線。
 超音波スケーラーのフットコントローラーのケーブルが途中で断線したらしい。フットコントローラーを取り回すときにどうしてもケーブルを引っ張ってしまうからな、ケーブル出口で断線するんだ。思いのほか簡単に断線箇所にアプローチすることができたので自分で修理することにした。
 ピンアサインを記録するために写真を撮る。(左写真) デジカメが出る前は、鉛筆で紙にメモしてから作業を始めたのだが、今はとにかくデジカメで写真に撮る。器具を分解するときもその行程を順を追って写真に撮っておくと組戻すときに誤らない。デジカメはこんな時も便利だ。 断線箇所にアプローチしたら半田付けして修理は終わる。

 かあちゃんが、パンを焼いた。ばんごはんは、夏野菜のオリーブオイル炒め、カジキの焼いたの。(右写真)  蒸し暑いな。台風がやってきている。来週の木曜日あたりに通過するのか。 


 午後6時24分から八坂公園を約3キロ走った。

 八月二十六日 とんぺいやき。
 午前6時15分ごろから八坂公園周回コースを2周し約6キロ走った。
 昼休みにケアハウスなかよしさんに訪問歯科診療をする。
 かあちゃんが、パンを焼いた。
 晩御飯はとんぺいやき。

 八月二十五日 IBARAKI BMW 守谷支店 。
 今日は、木曜日で休診だ。朝から小雨が降っていたが、家の周りの芝刈りをした。刈払い機で芝刈りをする。腕の筋肉が筋肉痛になるな。とても蒸し暑く大汗かいた。そして疲れた。
 Z4が車検なので IBARAKI BMW 守谷支店に持っていった。(左側写真)X-1を試乗した。

 うちの晩飯は豚肉とジャガイモの焼いたの、キャベツとにんじんのサラダ。こんにゃくの炒め物など。(中央写真)
 昨日かあちゃんがかぼちゃのプリンを作った。(右側写真)

 八月二十四日 咬合器装着 。
 左の写真は、上下総義歯の咬合器装着の手順だ。
 使用中の上下総義歯のかみ合わせの高さや全体の形を補正し応急的に整えてテッシュコンデショナーを施す。 何度かテッシュコンデショナーを施し義歯が安定して噛めるようにする。こうして、噛み合わせる時に上下総義歯に圧力が掛かっている時の形が採れるのだ。旧義歯を利用した咬合圧機能印象である。(上段左側写真)
  咬合圧機能印象に石膏を流す。(上段右側写真) 石膏が硬化して義歯と一体になる。(中段左側写真) それを咬合器に装着する。咬合器は、顎の動きをシュミレーションする装置だ。上下総義歯を咬合器に装着する。(中段右側写真) 上下顎の形と位置関係が、咬合器上に再現される。(下段左右側写真) 
 これまで使っていた上下の総義歯の位置関係には前後的な大きな「ずれ」がある。中段左側写真に上下の前歯の間に大きなすき間が見て取れる。このすき間、つまり上下前歯がうまく噛んでいない距離だけ前後的にずれていたのである。これだけずれていてもまったく噛めないわけではな。顎を動かす筋肉や関節に余計な負担を強いるが、患者が努力することで何とか食事ができていたのだ。しかし、加齢によって筋力が衰えたり運動能力が減退すると、当然だが顎の動きもしなやかさが無くなり大きな負担に耐えられなくなってしまう。その結果、うまくかめなくなっちゃうんだな。この画像の「ずれた義歯」も製作した直後は、患者の努力で何とか噛めたにちがいない。
  
 さて、咬合器装着したこの模型を使って新しい総義歯を作る。

 
 午後6時から八坂公園周回コースを2周して約6.7キロ走った。

 八月二十三日 巨峰 。
 患者さんから巨峰をいただいた。おいしい。食べ応えのある大きい粒、甘い果汁、葡萄のおおさまだな。かあちゃんが、巨峰の入ったマフィンを焼いた。(左写真)


  歯科技工所からFさんの左上中切歯メタルボンドが出来上がってきた。(右上段写真) Fさんの全歯は色が白く透明感が強い。色あわせの難しい色合いだ。
 昼に、坂東市岩井保健医療センターに2歳児歯科検診に行く。私は坂東市の嘱託歯科医をしている。年に数回この保健センターで歯科健診を担当する。私が着いたときは、歯科衛生士がムシ歯予防の講話をしていた。(右中断写真)
 そのあと老健きねぶちさんに訪問歯科診療をした。中庭でなにかイベントの準備をしていた。(右下段写真)

 八月二十二日 雨。
 朝から雨が降っている。さすがにこの雨では走れないな。
 受付のPCが起動しない。システム再インスツールだ。(左写真)

 歯科技工所から左上中切歯のメタルボンドが出来上がってきた。 メタルボンドは、陶材焼付け前装金属裏装鋳造冠の俗称です。ロストワックス法で鋳造した金属冠の表面に歯冠に似せた陶材を摂氏1200度以上の高温で焼き付けて作ります。陶材は焼きあがる時に収縮して変形するのでそれを見越して美しい歯の形を作るのは大変な技術と技とセンスが必要です。歯科技工士の高度な技術に感謝です。 意図的に色むらを付けて自然な歯に見えるように工夫してあります。 しかし、しょせん人工のものは自然の歯と内部構造が違いますから光の反射具合がちがいます。光源の違いによっても発色がちがいますから、色を合わせるのがとても難しいことなのです。歯科技工士の美的センスが要求されますね。右の2枚の写真は、同じメタルボンドを室内の人工光と窓の外の自然光で撮影して違いを見てみました。

 八月二十一日 日曜日。
 少し雨が降っている。とこやさんに行く。
 昼から八坂公園周回コースを3周して約10キロ走った。
 雨が降るまでは、夜も蒸し暑くて院長室でのデスクワークがつらかったな。。

 八月二十日 くもり。
 午前6時ごろから八坂公園周回コースを3周して約10キロ走った。曇っていてかなり気温が低い。
 昼休みに、ケアハウスなかよしさんに訪問診療をする。 I さんの下顎の総義歯を修理した。
 ばんごはん、夏野菜のぱすた。。

 八月十九日 雨。
 午前5時半ごろ、起き抜けに牛乳を300cc飲む。塩を5グラムなめる。冷たい水を150cc飲む。
 午前5時50分から八坂公園周回コースを3周して約10キロ走った。昨日よりもかなり気温が低くい。でも湿度は高いので汗だくだ。
 午前8時半、ケアハウスなかよしさんに訪問診療をする。雨が勢い良く降ってきた。久しぶりの雨だな。
 午前11時半ごろ長男が弘前に帰って行った。
 午後2時半ごろ宮城県沖で地震がある。新幹線が止まっている。長男は帰りつくのが遅くなるな。
 晩御飯は、そうめんだ。かあちゃんが、白玉をつくる。
 明日も雨で良いよ。

 八月十八日 塗装工。
 午前5時50分から八坂公園周回コースを3周して約10キロ走った。走りに出かける前に、牛乳を300cc飲む。塩を5グラムなめる。冷たい水を150cc飲む。昨日よりも気温が低くて楽だった。でも、500メートル走るごとに一口給水した。熱中症は怖い。おかしいと自覚したときは、痙攣して自分自身では対処できないらしい。
 昨日早朝、玄関までのアプローチの屋根を支える鉄支柱の塗装をした。この間の地震で基礎コンクリートとの接点の塗装に亀裂が入って裂けたのだろう腐食して赤錆が出ている。(左側上段写真) まず金属へらやカッターナイフ、紙ヤスリなどを使って錆を落とし鉄の地金を出す。(左側下段写真) 次男が作業を手伝ってくれた。彼は、きっちりと丁寧な仕事をする。時間はかかったが完璧な錆落しだった。(右側上段写真) 柱の周囲を養生テープでマスキングする。最後の工程は、スプレーペイントを吹き付ける。最も楽しい行程だな。5回塗り重ねた。(右側下段写真)
 次男と二人で塗装工になった気分だ。俺たちは1時間ぐらいの作業だったが、プロの塗装工の人は、炎天下に、このような錆落しの作業を一日中続けることもあるのだろうか。塗装工にかぎらず、この炎天下に良い仕事をする、すべての職人さんに敬意をいだく。

 八月十七日 うさみ亭のステーキ。
  午前5時52分から八坂公園周回コースを3周して約10キロ走った。最近、八坂公園の周回コースの順路を変更した。公園内の道をできるだけ重複しないで、きるだけ長い行程にするように順路を組み替えた。合計で3.3キロある。3周すると10キロになる。朝から10キロ走るのはつらいぜ。明日の朝までに疲労が回復しないかもしれないな。
 家族全員そろったところでうさみ亭のステーキを食べた。長男は、ほぼ1年ぶりだろうか。いつもながらにうんまい。牛の肉をニンニクとバターと塩とレモンで焼く。しょうゆベースの特性ソースで食べる。うんまい。なんでこんなにうんまいんだ。うさみ亭のマスターに感謝。常陸うしに感謝。添えてあるもやし炒めが、箸休め的な存在なのだがこれまたうんまい。ガーリックライス(左下段写真)も、味噌汁も、おしんこもうんまい。デザートの黒蜜のアイスクリームもうんまかったな。

 八月十六日 うどん。
  午前11時11分から八坂公園周回コースを3周して約10キロ走った。すでに陽が高く気温は最高度に達してるだろう。いくら木陰を走るとはいえ八坂公園もすごい熱気だ。ゆっくりゆっくり走る。まめに給水しながら走る。体温が上昇したらペースをおとして走る。こんな時間帯に走って熱中症になったら笑われてしまうからね。時に歩くこともあったが、いちおう10キロ走った。
 かあちゃんが、うどんを作った。肉味噌で食べる。うんまい。。

 八月十五日 ぼんまいり。
 午前6時から八坂公園周回コースを走った約6キロ走った。
 かあちゃんの実家に、おぼんのおまいりに行く。先祖の霊を「ぼんさま」と呼ぶ地方もあるらしい。かえってきたぼんさまに挨拶に、会いに行く、いろいろ日常のことを報告する。それが、ぼんまいり、か。
 うちのこどもたちも久しぶりに従兄弟に会う。みんなそれぞれでかくなり、それぞれの道を歩んでいる。たのもしいな。
 かあちゃんが作ったケーキを持っていく。 三種類のケーキを三段重ねたトライフルうんたらかんたらというケーキらしい。(左写真)。

 八月十四日 すいか。
 今朝早くから、昨日の芝刈りなどで出た草芝などを取りまとめて整理した。気温が上昇しないうちに作業を済ませた。

 八月十三日 ぼん。
 朝早くから刈払い機、エンジントリーマーを使って家の周りの芝刈りをする。汗だくだ。容赦なく気温がどんどん上昇する。小まめに給水し塩をなめる。午前10時半ごろまでには、終了した。
 お盆は、仏教の行事と認識されているようだが、仏教の教義で説明できない部分も多いらしい。古神道における先祖供養の儀式や神事が、仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たとされる説がある。お盆行事の様式は地方によってさまざまなものがあるらしい。 当地では、13日が「ぼんむかえ」の日だ。午後1時ごろ実家の墓に、ご先祖をお迎えに行く。墓前に花や米を供え線香をたく。その火でちょうちんに火をともし家の仏壇の灯明に火を移す。それまでにその火を消してはいけない。今は車で行くのだが、昔は、歩いて墓までお迎えに行ったのである。家までいま少しのところで、ちょうちんの火を消してしまい、また墓まで歩いて戻った経験がある。この「ぼんむかえ」に使うちょうちんだが、「こんばん」と書いてある。かつてはどの家にもあって日常的に夜間の照明器具として使われていたものだ。今は、お盆のときだけが出番なんだな。いざ、墓に向かおうとしたら「こんばんちょうちん」が見当たらない。昨年使った時にすごく痛んでいた。何回も修理して使っていたのだが、ついに修理不能になったか、あまりにみすぼらしいので捨ててしまったか。...「こんばんちょうちん」を新調した。(左上段写真)
 おそい昼食を守谷「いまのや」で、ラーメンを食べる。塩分補給と給水。
 東京ビックサイトのコミックマーケットの現場を観に行く。ほんとに観ただけ。
 ランニングシューズを買いにエスポートミズノに行く。いままで私とかあちゃんが使っていたLSDというモデルが廃止になった。後継モデルのマーキュリーを試着する。かあちゃんは、マーキュリーを一足購入。私は、ストックが無くなったらマーキュリーにするだろう。
 神田小川町交差点周辺に数台の機動隊車両があり、道路のそこここに警察官が展開している。路地の交差点にも警察官が立っている。道路閉鎖用の機材が準備されている。(右写真)
 何か事件があったのか、これから起こるのか。

 八月十二日 自分の感受性くらい。
 8月7日日光杉並木マラソンを走った後に「日光市温泉保養センターやしおの湯」に行った。その駐車場の小道を挟んだ向かい側に日光明峰高校野球部の専用グラウンドがあった。(左側写真) そこに次の一文が掲示してあった。以下転載。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いていく心を
ひとのせいにするな
自ら水やりを怠っておいて

気むずかしくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
何もかも下手だったのはわたし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにするな
そもそもひ弱な志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


 沁みたな。
 このようなときは、何かに導かれてこの掲示の前に立ったのだろうか、...。それともただの偶然なのか。

 日光杉並木マラソンの走行中の画像をネット上から拾ってきた。これでも撮影ポイントのところではポーズをとってるんだが、苦しそうだね。
 私は、今回もデジカメを持って走ったのだが、..。電池切れでスタートのときの記念写真しか取れなかった。このような画像が手に入るのはありがたい。
 杉並木マラソン後、はじめて走りに出た。午後6時ごろから八坂公園周回コース2周して5.59キロ走った。

 八月十一日 餃子とビール。
 18時14分から八坂公園周回コース2周して6.14キロ走った。
 黄昏に、私は庭に水を撒いた。水を撒くと周囲の気温が下がるのを体感できる。
 かあちゃんが、餃子を作る。こどもたちも餃子包みを手伝う。次男がビールを買いに行く。日没の太陽が朱色でまん丸だ。少しづつ雲に隠れていく。

 八月十日 医療安全会議。
 午後の診療の一部を休診にして2時半から医療安全会議を実施する。今日はスタッフ全員がそろった。スタッフ全員で訪問診療や日常業務状況、学校検診の予定等の情報共有をする。
 昼休みに建物の外壁に水を掛けて冷却する。あっという間に乾いてしまうが、少しは壁の温度が下がっているだろう。

 八月九日 モダンアート。
 8月7日午後2時、激しい雷雨の中を日光から宇都宮までドライブする。
栃木県立美術館にやって来た。銀色の時が、流れている。
午後3時、輝く私のZ4は、モダンアート。
時をともに、Z4。

 夜遅く長男が弘前から帰ってきた。かあちゃんが守谷駅まで迎えに行く。


 八月八日 水力発電。
 以下、古河日光発電株式会社のウェブページから引用。
 水力発電は再生可能エネルギーを利用する太陽光発電や風力発電に比べて単位出力あたりのコストが非常に安く、また発電機出力の安定性や負荷変動に対する追従性では、数ある再生可能エネルギーの中で王者とも言われています。川は、広い大地に降り注いだ雨が、集約的に集まってできた水の流れであるため、水力エネルギーは、他の自然エネルギーと比較してエネルギー密度が高く小規模で大きな出力が得られるのが特徴です。水が高い所から低い所へ流れ落ちるエネルギー(位置エネルギー)を利用して水車を回し、水車につながれた発電機を回転させ電気を起こします。落差さえあれば発電が可能であり、高いところにあるダムやため池、タンクなどから水道用水や農業用水などを供給するときに、途中に水車発電機を設置すれば発電できます。適応可能な範囲が非常に広い発電方法です。
 昨日行った「日光市温泉保養センターやしおの湯」の駐車場横の森の中の小道を数十メートル歩いたら古河日光発電株式会社「上の代発電所」の放水口に出くわした。(左写真) 右図の7のよころだな。
 今後、小規模水力発電所が増えるだろうか。古河日光発電株式会社がいうとおりダムやため池、タンクなどから水道用水や農業用水などを供給するときに、途中に水車発電機を設置すれば発電できるなら、メーカーが既存のダムを利用して簡単に安く自前の水力発電所を持つことができるのなら、山間の過疎の村に大規模自動車部品工場が、電子部品工場が、できるかも知れない。水資源を確保するため山野の森が整備されるかも知れない。民主党が止めさせたダム工事を見直して水力発電所にするのはどうだろうね。遠い将来の話だがな。私が、子供のころはダム建設がドラマだったのにね。
 芝生に散水するときに発電できないかな。

 八月七日 第6回 日光杉並木マラソン。
 今年も杉並木マラソンの10キロコースにエントリーしている。5時50分ごろ家を出発する。新4号国道が整備されて片側3車線のところもあり流れはスムースだ。家を出るのがいつもより遅かったが会場には思いのほか早く着いた。会場の東原中学校付近で、坂東市いわい将門ハーフマラソンのリーフレットを配っている人たち、なんと仁平先生(父上)と遭遇した。遠いところご苦労様でした。今年も「チーム★坂東市役所」がエントリーしているようだ。将門マラソンの宣伝もかねてエントリーいているらしい。15名ぐらいの一団が将門マラソンのロゴ入りユニフォームを着てウォーミングアップしている。
 7時30分ごろ会場に到着してひとまず記念写真を撮る。晴れ渡って日差しが痛い。(左上段写真) 会場で受付を済ませ私たちは、杉並木のなかでウォーミングアップをする。昨夜、多くの雨があったようだ。日なたは鋭い日差しで暑いのだが、杉並木の中は気温がかなり低い。路面がまだ濡れている。8時35分スタート。10分前にスタートの列に並びいつものように記念写真を撮る。(左側中段写真)
 今年、かなり練習不足の私は、完走が目標だ。コースは高低差80mで折り返し点までは下り、折り返し点からゴールまでは上り。スタートからあちゃんが、先行している。先月まで膝靭帯の具合が悪かったのにな。大丈夫か。かるがるいつもと同じペースで走ってる。私が下り坂で追いついても上り坂になったらどんどん引き離されてしまった。最近は、かあちゃんに勝てない。
 今年は、給水所で必ず一口ずつ給水した。折り返しを過ぎて上りになり昨年よりかなり苦しくなった。乳酸がたまると足が動かなくなっちゃう。あえぎながら胸いっぱい空気を吸うが、間に合わない苦しいな。できるだけペースを落とさず走ろうとするが無理。十石坂付近の上り坂ではかなりペースが落ちた。止まってしまうともう走れなくなっちゃうので腕をしっかり振って足を引っ張った。後2キロ地点では、歩いてる人がいっぱいいる。私は、ペースは遅いが止まらずにゴールまでいけそうだ。
 今年は、59分59秒でなんとか1時間以内にゴールできた。かあちゃんに約4分ほど負けてしまった。レース後、汗だくでシャツが皮膚にへばり着く。ドリンクを500ml以上飲んで木陰で一休み。(左側下写真) 震災で多くの大会が中止になったので、久しぶりのレースで楽しかった。スタッフやボランテアの皆様お世話になりました。ありがとうございました。
 会場近くにJAの直売所(JAかみつが今市)があり朝市が実施されている。豆大福、草もち、田舎饅頭、赤飯、とうもろこし、かぼちゃ、たまねぎ、ししとう、ぬかずけ、などを買い込んだ。面白いことにレシートに、ナガヨシタカオ、タカハシヨネコ、ヨシハラミヤコ、サイトウヨシイ、フクダセイコ、ヨシハラノブアキ、アサヒヤマシズエなどなど生産者の名前と商品の金額が印字されているのだが、商品名は印字されていないので後から何を買ったかわかんなくなちゃうな。今年は10時ごろ朝市に着いたので美味しいものがまだ残っていた。
 レースの後にはいつも日光温泉浴場に行く。日光市の運営する温泉浴場だが、なんとポンプの故障で当分の間休業するという掲示がある。さてどうしよう。日光杉並木マラソンのリーフレットで紹介されていた「日光市温泉保養センターやしおの湯」に変更する。こちらも日光市の施設のようだが食堂や売店が併設されている大きな施設で楽しめる。ランナー割引があり300円で入浴できた。11時半には温泉にはいってさっぱり。いつもは、日光東照宮近くの仏蘭西懐石「ふじもと」で昼食をとるのだが、なんと4月10日から休業中。ここも地震の影響なのか。できるだけ早い「ふじもと」の再開を願う。しかたなく、今回は明治の館の別館「游晏山房」を予約していました。  「游晏山房」で12時半から約1時間ほどのんびりと料理を楽しみました。「ふじもと」とはまったくちがうコンセプトの雰囲気と料理です。ランチコースは、オードブルかスープ、肉か魚、パンかご飯、コーヒーか紅茶が選択できる。デザートがついてます。どれもおいしかったです。が、この食器に存在感が在りすぎで、料理の容姿が栄えません。....。(右側写真) 「ふぃじもと」のシェフ忍足(おしたり)さんは、 「游晏山房」に居るようで1週間前に予約すると「ふじもと」のコースを「游晏山房」で楽しめるらしい。次回は、ぜひ「ふじもと」の料理を予約しよう。
 雨が激しく降ってきた。雨の中を栃木県立美術館に向かう。午後3時ころ着いた。画像進化論という特別企画展が催されている。
 画像進化論は、美術館のウェッブページをみると興味深い企画であったが、解説書(別売1000円)を読みながら進まないと、展示されている作品の羅列を見ただけでは、企画者の意図が、良くわからないものであった。常設展示も野外展示も観た。初めて行く美術館は楽しい。出会った事がないアートに初めて遭遇する。未知との遭遇っぽいな。右下写真は、駐車場のそばに展示してあった作品。 美術館も学芸員の力量を問われるようになってきているのだろうか。県立美術館全国制覇をしてみたいな。
  早起きして日光杉並木マラソンレースに参加して温泉につかる。おいしいランチを食べて美術館でしばしまどろんで帰る。毎年8月のお楽しみ行事になっています。でも、今年は震災の影響をそこここに感じました。

 八月六日 burnout バーンアウト。
 今日は、Hさんのお宅に訪問歯科診療をした。私の経験から、多くの歯科医師が訪問歯科診療に携わることを望む。通院不可能の患者さんにも、在宅や病院のベットサイド、老人福祉施設内で、歯科医ができることはたくさんある。もちろん、歯科診療室で行うのと同じ高度な歯科医療の実施は無理だが、訪問して歯科医ができることはたくさんある。まず行ってみなくちゃ、何ができるか何ができないか、わかんねべよ。依頼があったら、患者さんのところに出向いてほしいな。多くの歯科医師が訪問歯科診療に携わることを望む。
 
 燃え尽き症候群。英語では、Burnout Syndrome という。生き方や関心に対して献身的に努力した人が期待した結果が得られなかったために感じるおおきな徒労感または欲求不満によって引き起こされるさまざまな症状。極度のストレスがかかる職種や、一定の期間に過度の緊張とストレスの下に置かれた場合に発生する。会社の倒産と残務整理、リストラ、家族の不慮の死と過労などに多いと言われている。 Burnout Syndrome に限らずさまざまな心身症は、周りの人が症状に気づいてあげて、病気にたいして正しい理解と的確な支援をしてあげなくちゃね。
 今日、治療台の照明装置のハロゲンランプが燃え尽きた。(左写真) 数日前から照度が落ちてその兆候があったのだが、気づかなかった。イワセが新しいバルブを届けてくれたので復旧した。助かったな。
 今日は原爆の日だ。が、原爆と原子力発電をいっしょにしちゃっていいのだろうか。 うちの晩御飯は、キャベツと豚肉の煮込みなど。(右写真) たしかに、原子力発電所の事故で食卓の食品が危うくなってるけど、それは原爆が人類の生存に危ういことと同じなのか。Burnout 。
 

 八月五日 グループホーム なかよし 。
 昼休に、グループホーム「なかよし」さんに訪問歯科診療をする。
 日本では、厚生省(現在の厚生労働省)の2000年度から2004年度の計画(通称、ゴールドプラン21)によって、これまで設置目標がなかった認知症高齢者グループホームを、2004年度までに3200ヶ所整備すると発表した。また2000年度に制定された介護保険法に基づく介護保険制度により、介護サービス給付が利用できるようになり、認知症高齢者グループホームが急速に普及している。介護保険制度では、グループホームといえば認知症高齢者型を指す。

 グループホーム「なかよし」さんでは、最近施設を増築して部屋数を増やし受け入れ人数を増やした。施設内はあかるい。(左写真)

 かあちゃんが「いがめんち」を作った。(右写真) 弘前で食べた「いがめんち」にかなり近い。かあちゃんは味噌で味付けして刻み生姜を入れた。後味にイカが残る。なかなかいい感じ。白ワインに合う。

  

 八月四日 木曜日。
 木曜日で休診だ。なんか、なぜかけだるい。何をやる気もおきない。でも散水しないと芝生が枯れてしまいそうなので頑張って水まきをする。
 写真は、弘前公園。広大な公園、おびただしい数の桜の木、おまけに樹齢数百年の樹木が多数ある。植物だけではない文化財が多数散在する。この公園の管理にはたいへんな労力が必要だろうな。
 何をやる気もおきない。暑さのせいか、ねむれないせいか。

 八月三日 水曜日。
 午前の一部を休診にして知人のお宅のお葬式に出かけた。
 なぜか、けだるい。首と肩がこる。眠い。
 

 八月二日 老健きねぶち の 中庭。
 昼休みに老健きねぶちさんに訪問歯科診療をした。噴水の縁に見慣れないランタンのようなオブジェが4個置いてある。電気を使わない照明器具だそうだ。停電時に非常用照明として導入されたらしい。しかし、暗すぎて実用にならないだろうということだ。暗くても少しでも明かりがあれば、非常時に中庭に非難するとき方向を示す誘導灯になるだろうな。。
 

 八月一日  日印EPA発効。
 あっというまに8月だ。
 EPAってなんだ。「日本国とインド共和国との間の包括的経済連携協定」(平成23年条約第7号)が、本日発効。日印EPA、日本インドEPAとも呼ばれる。EPA(:Economic Partnership Agreemen)は、経済連携協定のことか。
 インドでは、海老漁が盛んで海老加工品の最大の輸出国は日本らしい。カレー用の各種スパイスも日本に大量に輸出されているらしい。EPA発行でそれぞれの国の企業が、それぞれの思惑で動き始めているらしい。
  焼き魚、ハムと野菜のスープ、ごはん。うちの晩御飯も、日印EPAの発行に揺れ動くのかな。バジルの葉はうちの庭、ご飯は七重の田んぼから来た。この魚は、どっから来たのかな。ハムの豚肉は、どこからだろう。昨日食ったヤリイカは、うどんの小麦粉は、どこから来るのだろう。せいぜい、「ハムは、○○さんちからお中元で。」、その他は「生協からやって来る。」ぐらいにしか認識してないよね。外食にあっては、どこだかしらない。日本の食料自給率何とかしようよな。
 


二〇十一年 八月  デンタ日記  




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